せっかく、歴史の街長崎にいるのだから
たまには勉強してみよう・・・
関東の方とお話をしている時にびっくりしたことがあります。
オーナー「ようこそ出島ワーフへ・・・」
関東Aさん「いいところですね〜コーヒー伝来のとこじゃないですか」
オーナー「そうなんですよー ここから日本全国に広まったんですよ」
関東Aさん「ところで、出島ワーフが昔の出島なんですか?」
オーナー「・・・・・」
出島は島だったんです!
上の写真でお判りのように以前は扇型の形をした島だったんです。
出島は鎖国時代、日本で唯一西洋に開けた貿易地としてオランダからさまざまな文物がもたらされ、日本の近代化に大きく貢 献しました。長崎市は昭和26年(1951)より出島整備事業に着手し、平成8年(1996)3月に策定された出島復元整備計画に基づいて、19世紀初頭の出島を復元する計画を進めています。これまでにカピタン部屋など10棟の建造物復元や護岸石垣の顕在化が完成しており、平成28年度(2016)には新たに出島中央部6棟の復元建物が完成する予定です。この6棟復元に続き、平成29年度に出島表門橋の架橋を目指しています。
・・・長崎市ページ参照・・・
コーヒーの始まりは、長崎出島から・・・
徳川初期の頃、オランダ船が伝えたコーヒーは「モカ」。
モカはアラビア最南端の都市の名前で、日本商品のアジア最西端の市場でした。
最初は苦くて、こげくさいなどといわれ敬遠されていたコーヒーも、
シーボルトが長崎にやってきた文政6年(1823年)頃にはかなりのコーヒー党が
いたようで、明治になると長崎のまちにもコーヒー店ができました。
しかし、シーボルトの日記には・・・
「なぜ日本人は2世紀(1600年代)も前にコーヒーがあるのに
お茶ばかりでコーヒーを飲まなかったんだろう・・・」
みたいなことを日記に書き残しています。
そんなシーボルトさんに一言。。。
400年たった今では、日本人もコーヒー飲むようになったよ!
っと言いたいですね(笑)