2011年11月26日(土)は・・・
長崎国際松ヶ枝ターミナル~グラバー園一帯で・・・
トーマス・ブレーク・グラバー没後100年記念イベント!!
【グラバーフェスティバル2011】開催!!
http://www.glover-garden.jp/glovers_festival.html
長崎の代表的な観光地・グラバー園。
グラバー園の中で最も有名なグラバー邸の主・「トーマス・ブレーク・グラバー」
1859年に21歳の若さで長崎を訪れ数々の西洋の近代技術を日本に紹介し
日本の近代化と経済発展に大きく寄与しました。
今年はそんなグラバーの没後100年を迎えます。
トーマス・ブレーク・グラバー没後100年を記念して
さまざまなイベントを開催します。
●グラバーの功績やグラバー園のことを知っていただく「パネル展&クイズラリー」
●グラバーの故郷スコットランドの民族楽器・バグパイプの演奏者が全国から集合!
「長崎バグパイプフェスティバル」
●「ベッキー♪#」フリーライブ
●地元アーティストフリーライブ
●3000発の打上花火
●長崎のおいしいものがたくさん「長崎名物の美食ブース」
是非会場までお越しくださいね!!
ところで・・・
グラバーさんって
トーマス・ブレーク・グラバー とは?
スコットランド出身のグラバーは1859年、彼が21歳の時、開港と同時に長崎に来日し、グラバー商会を設立しました。幕末の激動の時代の中、志士達を陰で支え、伊藤博文らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しみませんでした。また明治以降は純経済人として、日本の近代科学技術の導入に貢献しています。1908年(明治41年)、明治政府はグラバーの日本への貢献を讃え、外国人、特に商人には破格の勲二等旭日重光章を贈りました。
とび色の瞳と赤い顔のため、彼が経営した炭坑の坑夫からは「赤鬼」とあだ名されましたが、その性格は豪胆で情に厚く、使用人の子供にさえお土産を忘れないきめ細やかな愛情の持ち主だったようです。
同様に家族に対しても、妻ツルとの間に子供をなし、温かな家族をつくり、仲むつまじく日本で終生を過ごしました。1911年、73歳の生涯を閉じたグラバーは現在でも長崎市の坂本国際墓地でツルと、息子の倉場富三郎夫婦とならび眠っています。
長崎国際松ヶ枝ターミナルには・・・・
トーマス・ブレーク・グラバー没後100年を記念!!
「グラバーカプチーノ」にて カフェショップをOpen!!
皆さまのお越しをお待ちいたしております!!