2020年6月4日
コーヒーは長崎出島が伝来地です。
ヨーロッパから長い船旅の途中、水と食料の補給で東アフリカやインドネシアに寄航し、その際にコーヒーを船の底にバラスト(重し)がわりに積み込み、船の上で焙煎し飲んだとされています。
オランダやロシア・イギリス・フランス・中国など、その頃の長崎は日本の貿易港として栄えていたんでしょうね!
大きな船は、今のように護岸工事がなされていなかったので長崎港の中央に停泊し、小舟で往復しながら俵物や商品を積み込んだり下ろしたりしていました。きっと最初にコーヒーを飲んだのは通事(通訳)さんかもしれません。
さて、昨日のブログの続編です。
長崎市立図書館の交差点にある石碑に「唐通事会所跡」と書かれています。
「唐通事」は中国語の通訳者のことで、なぜ「通詞」とは書かず「通事」と書いているのかは、通訳だけでなく、貿易や長崎に住む中国人のお世話係など全般を担っていたためといわれています。
長崎に出入りしていた中国人はオランダ人とは比べものにならないほど多く、新地中華街近くの唐人屋敷は一度に2000人を収容できる規模だったと言われています。
ここに勤めていた「通事」は中国語以外にも英語・フランス語・ポルトガル語など話す方が在籍したと思うと、よほど長崎はグローバルに飛んだ街だったはず!
その頃の「コーヒー」って一体どんな味だったんでしょうね・・・